発泡スチロールの技術史
ライト兄弟が36mの初飛行に成功してから80年余, 今ではジャンボジェット機が太平洋を越える時代となった。

フォームスチレンが我が国に入ってきて30年、いろいろな試行錯誤、研究開発と工夫改良によって、今日の姿に発展してきた。

これからの30年に思いをはせるとき、そこにはどんな未来があるのだろうか。

『ボイラーなしで熱源つきの完全自動成形機、金型交換もロボットでOK。もちろん不良率ゼロパーセント、売価は原料の3倍以上の業界』 夢は大きく広がって行く。

未来を予測するために,創生期からの技術をふり返ってみたい。

今では現物も写真も手に入りにくくなったので,脳裡に浮かぶイメージをイラスト化して、目で見るフォームスチレン技術史とした。

1、予備発泡
『原料ビーズは、いきなり金型には入れない。まず予備発泡させ、金型を満す程度に膨脹させる。』という。
『具体的にはどうしたらよいのだろうか?』の模索から、予備発泡の歴史が始まった。

(1)赤外線ランプで発泡(昭和29~30年頃)
原料ビーズは加熱すれば膨脹するということで、フライパンで煎ったり、お湯で煮たりしたがうまく行かない。そこで赤外線ランプの照射による加熱が考えられ、小規模ながら工業生産の緒となった。

原料ビーズに赤外線をあてると、上面の一列が膨脹し、軽くくっつき合ってたたみいわしのようになってはがれてくる。

それを手もみでくずし、ドラム缶に貯めるという大変な作業であり、サングラスをかけても夕方までには目が真赤になる有様であった。

しかも発泡倍数は30-40と安定せず、処理能力は2人が1日がかりで90kg程度のものであった。